2012年08月15日 (ベトナム編)豊穣なるベトナムポップス

 どこの地域にもそれぞれポップミュージックというジャンルがあって、ベトナムもその例外ではありません。ベトナムポップスは、ベトナム人が歩んだ現代史の複雑な事情を反映して多様で豊富であり、ベトナム国内にとどまることなく、在外ベトナム人(越僑)コミュニティあるところにあまねく広がっているものでもあるのです。

 1945年8月15日、日本のポツダム宣言受諾と共に、当時フランスの植民地であったベトナムの日本軍政支配が終焉を迎え、9月2日にベトナム民主共和国の独立宣言がハノイ・バーディン広場でホーチミン主席により高らかに読み上げられたあと、フランス植民地主義者の復権を目指す策動により国土は二分され、社会主義を目指す北ベトナムと外資の導入が進んだ南ベトナムの軍事的対立、そして1975年のサイゴン解放、そのころから増加するボートピープルという名の巨大な移民の波、そして1976年の南北統一選挙を経て国家丸抱え政策による社会主義化と経済停滞、1986年頃から始まる改革開放政策ドイモイによる経済自由化とそれに連動した文化面での変動…。こうした出来事がすべてベトナムポップスの歴史にも反映しているのです。

 1975年以前の南ベトナムでは、フランスやアメリカ、日本のポップスがカバーされたり、それぞれの原語で歌われたりしていたほか、盛んにポップスが作られていました。Ngo Thuy Mien、Pham Duy、Trinh Cong Sonなどを筆頭に、反戦的なメッセージ性を持った歌も含めて多くの作品が世に出され、Elvis Phuong、Khanh Ly、Huong Lanなどの歌手がそれらの作品を歌い継いでいました。北ベトナムにあっては、政治的な条件により、プロパガンダ性の強い作品が多く世に出ていました。サイゴンが解放されると、旧南ベトナム政権に近い人たちを中心に、北ベトナムの政治的方針には同意できないと感じた人々がボートピープルとなって海外に逃れましたが、その中にはPham Duyなどの音楽家やElvis Phuong、Khanh Ly、Huong Lanなど多くの歌手も含まれていました。彼らの多くがアメリカに定住したため、今日でもアメリカは最も大きいベトナム人コミュニティを擁しています。それと同時に、南ベトナム時代からの音楽文化もアメリカの越僑社会で継承されてきました。独自のレーベルを持ち、数百万人の越僑社会に向けて多くのアルバムが発表され続けています。これは越僑ポップスなどと言われますが、ベトナム本国では旧南ベトナム時代の作品を含め、長く公開禁止の憂き目にあってきました。

 ドイモイ政策の時代になると、旧南ベトナム時代の作品に対する再評価が始まり、海外に脱出しなかったTrinh Cong Sonらの復権と新作の発表、旧作の一部の解禁が進みました。これは国内外を問わず太く長い人気を誇る分野でもあり、多くの歌手が繰り返しカヴァーし続けています。また、21世紀を目前にした頃からElvis Phuong、Huong Lanなど越僑歌手の一部作品がベトナム国内でも正式に発売されるようになり、またベトナム国内の歌手が越僑社会のレーベルからディスクを発売するなど、現象的には断絶したような状態になっていた国内のポップスと越僑ポップスの交流が少しずつ顕在化していくことになります。2005年にはアメリカから作曲家Pham Duyが永住帰国し、アルバムを国内で発表するなどエポックメイキングな出来事もありました。

 また、ドイモイ政策は、新しい音楽情報や機材の流入をもたらし、音楽シーンを大きく変えていきました。音楽家や演奏家の多くが音楽院(小学校から大学院レベルまで一貫した音楽教育を行う学校)で養成されるため、デビュー時から高い実力を持ったアーティストが多く輩出しています。

 音楽のジャンルも多様化を極め、声調原語に相応しいかどうか異論もありそうなラップミュージックやヒップホップから、ヘヴィーメタル、アダルトコンテンポラリー、伝統的な民俗芸能の要素とのクロスオーヴァーといった実験的なものまで発表されています。それは多くの人が最早全体像を押さえることさえ難しいほどであり、またリスナーも細分化されているというのが現状のようです。(とは言え、メインストリームにはしっとりしたバラッド系や、日本の演歌に似たジャンルの歌謡曲がどっしりと存在感たっぷりにあることは否めません。)

 歌詞についても、かつては韻詩の伝統を受け継ぐ文学的表現に満ちたものが主流だったところに、まるで話し言葉と変わらないほど散文的な作品が多く作られるようになって、芸術性という点で賛否両論といったところです。ベトナム語を学習している人にとっては、散文的な歌詞の歌はよい足がかりになりそうですし、詩的な歌詞の重層的な意味内容の魅力への足がかりともなるでしょう。何より、元々が音楽的な要素の強い声調原語であるベトナム語のポップスです。その美しく豊かなサウンドを多くの人に、少しでも意味内容を理解しつつ聴いて頂きたいものです。

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